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[主日礼拝-230910] 『サタンの試み』 (マタイの福音書 4章1節-11節)
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2023-09-11 23:28
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[マタイの福音書 4:1-11]
“1それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。2そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。3すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」4イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」5すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」8悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9こう言った。「もしひれ伏して私を拝がむなら、これをすべてあなたにあげよう。」10そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」11すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。”
神様の御前に出てきて、誠心で礼拝する主の民たちに、主の惠みと平安がすべての人生に溢れることを祝福します。
人類の歴史は失敗の歴史です。
聖書の御言葉に照らしてみれば、過去アダムとエバがサタンの誘惑に負けて、悲惨な人生を送ったのに、今の時代にもすべての人類は仮装された幸せと虚しい権力や富を追い求めて悲惨な人生を送っているからです。実際、ほとんどの人が追求する富や権力は、真の幸せを享受する上でそれほど大きな比重を占めていないにもかかわらず、多くの人々は命をかけるほど過度に人生の目標にして生きています。
しかし、いくらお金が多くて足りないことのない権力者や財閥であっても、その心に悩みや心配のない人がいないというのは多くの人々が誤った価値観を持って生きていることを示しています。
これらは、最終的に失敗した人生を踏襲する結果を繰り返すだけです。
2022年にUN傘下の諮問機関であるSDSN(持続可能な発展解決ネットワーク)という機関が全世界のOECD国家137ヶ国の幸福指数を調査して発表したことがあります。
この調査で137ヶ国のうちの上位10位圏以内に入っている国々は、経済力や尖端インフラ、寿命などとは関係ない北欧と西ヨーロッパの人口500万から600万程度の小さな国がすべて占めていることが分かります。フィンランド、デンマーク、スイス、オランダ、ノルウェーなどですね..
この資料を見ますと、日本は幸福指数が24位で、韓国は57位を記録しています。G7の諸国はほとんど20位圏に位置しているのが見られます。これは経済力や軍事力など富強な国だからといって幸せを感じるわけではないことを端的に示すデータですね。つまり、安定した生活環境が人々に幸せを感じさせるものではないということです。
どうしても富強な国ほど国民の生活の質も良好なので、このデータは食べていく問題と幸せを感じる問題との関連性が考えて見られる資料だと思われます。
では、人生で真の満足と平安を享受できる道は何でしょうか?
イスラエルの歴史の中に現れる内容を見れば、人生の喜びと平安を享受する道はエホバ神様にかかっていると告白しています。
[詩篇 4:7-8] “あなたは喜びを私の心に下さいます。それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。8平安のうちに私は身を横たえすぐ眠りにつきます。主よただあなただけが安らかに私を住まわせてくださいます。”
財産が増え、食べて飲むのが豊かなことよりも、より大きな喜びと平安な人生はエホバ神様が保護してくださる時に享受することになるということです。
このような事実を忘れて世の中での満足と快楽に従う時は、イスラエルに大きな災いと不幸が迫ってくることもありました。罪悪に染まったイスラエルを神様がこれ以上守ってくださらなかったからです。
[申命記 31:17] “その日、わたしの怒りはこの民に対して燃え上がり、わたしも彼らを捨て、わたしの顔を彼らから隠す。彼らが焼き尽くされ、多くのわざわいと苦難が彼らに降りかかると、その日この民は、『これらのわざわいが私たちに降りかかるのは、私たちのうちに私たちの神がおられないからではないか』と言う。”
神様の保護と懐の中で生きていくことをいつも思慕する皆様になることを願います。
失敗した人間の歴史を見ながら悟ることができるのは、神様の御言葉に耳を傾けずに忘れてしまったことが失敗の原因だということが分かります。アダム以降のイスラエルの歴史を見ても聖書を通じて現れたイスラエルの苦難とすべての災いの原因は、神様の御言葉を忘れ、その心に神様がなしで自分たちがやりたいとおりに行動しながら生きてきたからだったことを示しています。
神様の御言葉を忘れ、神様を離れて暮らす人は、霊的な存在であるサタンの計略にあまりにも陥りやすいです。
サタンは決して幸せを与える存在ではありません。偽装された偽りの幸せを餌に、人々の魂を死のどん底に落とそうとすることがサタンの究極的な目的であることを忘れてはなりません。
今日の聖書の御言葉は、イエス様が人類の救いのために公的な生活を始める前に、40日間何も食べずに断食しましたが、誘惑する悪魔サタンがイエス様に近づいて試(πειράζω)みる内容が出てきます。初めから人間を誘惑することを楽しんでいたサタンが、今回は神様の御子であるイエス·キリストを試みろうと飛びかかったのです。
ここでイエス様を試(πειράζω)みるということは、テストではなく「誘惑」を意味する言葉です。
サタンはイエス様を誘惑して人類に向けた神様の救援計画が失敗するようにしようとするものでした。
イエス様はユダヤの荒野で悪魔サタンから三つの試みを受けられます。
1. 食べ物(物質)に対する試みです。
[マタイの福音書 4:3] “3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 ”
サタンがイエス様を倒すために試みた最初の誘惑は、‘神様の御子なら、この石がパンになるように命じなさい。’ということでした。メシアとして人類の救いのために公的な生活を始めることになるイエス様に、空腹を満たすために神的な能力を発揮しろということです。
しかし、イエス様のアイデンティティは神秘的な能力を示すことから証明されるものではありませんでした。人類の救いに向けた神様の計画のために自分を惜しみなく捧げる犠牲を通じてこの世に来られたメシアとしてのアイデンティティが証明されるものでした。
神様から送られたこのイエス様を聖書ではこのようにご紹介しています。
[ヨハネの福音書 1:1] “初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。”
初めからおられた御言葉は、宇宙万物を創造された創造主であるということです。
初めとは、万物の始まり、つまり創造主が宇宙万物を創造された時点を意味します。
このように、初めからおられた御言葉がある日、人間の体を着てこの世の中に来られて私たちと共におられるそうです。
[ヨハネの福音書 1:14] “ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。”
まとめると、創造主がご自分の民を救うために自ら人間の姿でこの世に来られたのです。
そしてその方がまさにイエス·キリストだということです。
「メシア」という言葉は旧約時代にイスラエルが使っていたアラム語であり、「キリスト」という言葉はギリシア語なのですが、どちらも「油を注がれた者」という同じ意味の単語です。この世の救い主という意味です。
イエス様がこの地に来られた理由はただ一つです。それは私たちをひとりも漏れなく救うことです。
[ヨハネの福音書 3:16-17] “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。”
悪魔のサタンがイエス様を訪ねてきて、このように試みる理由がここにあります。
イエス様もアダムのように倒れるよう誘惑し、神様の意思が叶わないようにしようとするものでした。
しかし、イエス様は神様の意思を叶えるためのメシアとしての道を断固として選択しました。
[マタイの福音書 4:4] “イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。”
この御言葉は申命記8:3の御言葉を引用したもので、人の命を維持することが肉体のための食べ物だけにあるわけではないということです。人が命を維持しながら生きていく上で生物学的には食べ物を摂取してこそ生きられますが、究極的にはお腹だけいっぱいになることが人生の全てではないので、人生の生死禍福を司る神様の御言葉に従って生きることになれば、永遠な命と真の平安を享受し天国の喜びを経験しながら生きることになります。
そのような面でサタンの誘惑を振り切っておっしゃったイエス様の御言葉は、お金と快楽を追って生きていく世の中の人々に真の価値が何かを教えてくださる重要な意味があると言えます。
目の前の満足だけを見るより、永遠な人生を眺める信仰を発揮することを祝福します。
2. 名誉に対する試みです。
[マタイの福音書 4:5-6] “5 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」 ”
名誉は、社会生活を送るすべての人にとって守られなければならない重要な価値の 1 つです。
社会でも名誉は生命、身体と共に重大な法的保護を受けるようにしているほど重要な位置にあります。
サタンはイエスを聖殿の頂上に連れて行き、飛び降りるよう誘惑します。エルサレムの聖殿はユダヤ人が最も多く出入りする場所でした。この聖殿の最も高いところから飛び降りても死なない空から降りてきた人類の救援者であることを示して見せろということです。サタンは引き続きイエス様がメシアであることを人々の前で証明するよう求めています。ユダヤ人は何千年もの間、自分たちを救うメシアを切望してきた民族です。彼らの前でメシアとしての身分を認められ、イスラエルの王として待遇されれば良いのですが、神様の意思はそのようなものではありませんでした。イスラエルの王として世に来られましたが、誰もイエス様を迎える人がおらず、徹底的に捨てられた状態で十字架での死に遭うのが神様の意思だったのです。
[イザヤ書 53:3-6] “彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。5しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。6私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。”
[イザヤ書 53:10] “しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。”
神様の愛は、このように私たちの救いにすべての焦点を当てています。このために神様のひとり子であるイエス·キリストを送ってくださったのです。そのような神様の愛を歪曲して救いと関係のないことと繋げたり、自分を表わし高めようとする気持ちで神様の愛を利用すれば、これはきっと神様を激怒させる行為になるでしょう。
[マタイの福音書 4:7] “イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」”
狡猾なサタンが神様の御言葉でイエス様を誘惑しようとすると、イエス様は今回も旧約聖書の申命記の御言葉を引用してサタンを対敵しました。
[申命記 6:16-18] “あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならない。17あなたがたの神である主の命令、主が命じられたさとしと掟を必ず守らなければならない。18主の目にかなう良いことをしなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、主があなたの父祖たちに誓われた、あの良い地を所有することができる。”
この御言葉はイスラエルの民たちがホレブのムリバで飲む水がないことによって神様を試みて激怒されたことに対して警戒の御言葉を伝える内容です。神様がイスラエルのために行った驚くべきことを忘却し、恨みと不平を言うのは神様に仕える人生ではなく、自分の必要に応じてのみ神様を探す偽善的な姿だということを記憶しなければなりません。
同様に、私たちの救いのために行われた大きくて驚くべき恵みの事件を常に記憶しながら、神様の意思に従って生きていこうと努力する聖徒にならなければなりません。
人々に待遇される道を拒み、私たちを救うための十字架の道を選択したイエス様を心から考えながら神様の御前でいつも謙遜し、自分ではなく神様を高める皆様になることを祝福します。
3. 富貴栄華に対する試みでした。
[マタイの福音書 4:8-9] “悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」”
サタンは今度はイエス様を高い山に連れて行きました。そこでサタンは天下万国とその栄華を見せ、自分にひれ伏して拝むなら、このすべてを与えると誘惑します。
「もし ひれ伏して私を拝むなら、この世のすべてあなたにあげよう。」”
サタンはまるで自分がこの世の主人であるかのように言っていますが、この世の主人は神様であって、サタンではありません。結局は実現可能性のない内容で誘惑するのです。
このようなサタンの誘惑に多くの人々が乗って神様を去り、罪悪の中で死を迎えた人々が数えきれないほど多いです。
しかしイエス様はサタンが試みるすべての内容をきっぱりと断って勝ち抜けました。
[マタイの福音書 4:10] “そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」 ”
ここでもイエス様は神様の御言葉を引用しながらサタンの誘惑を退けました。
敬拝と仕えることができる生きておられる神様は創造主の神様だけです。イエス様は真の神様である、ただ神様だけに礼拝するように仰いました。
神様以外に他の神にお辞儀をしたり敬拝して仕えることを偶像崇拝といいます。
偶像(アイドル)とは、「人間によって作られた、神の形や 人、魂、ダイモンなどのために敬拝したり褒めたりする物」を指します。国ごとに時代ごとに偶像の形状は少しずつ変わってきていますが、現代になってからは過去と違ってお金や芸能人、権力や名誉なども偶像の範疇に含まれています。
神様は神様の以外に他の神に仕える偶像崇拝に対して非常に厳しく禁止しています。
モーセの十戒を見ると、第1戒と第2戒でこのようにおっしゃいました。
[出エジプト記 20:1-2] “それから神は次のすべてのことばを告げられた。2「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。”
[出エジプト記 20:3] “あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。”
[出エジプト記 20:4-6] “あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。5それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。”
この世で生きていく私たちもやはりいつでもサタンの試みの対象だということを覚えておかなければなりません。イエス様を信じられないように誘惑し、神様より世の中をもっと愛するように誘惑し、お金の奴隷になり、死を恐れさせます。イエス様を信じられないように誘惑し、神様より世の中をもっと愛するように誘惑し、お金を神として仕えるようにし、死を恐れさせて死んだらすべてが終わりだと思わせます。
サタンが提案するすべてのことは嘘と滅亡だけです。
アダムとエバに神様が“食べるな” と禁じた実を食べても絶対に死なないと言いましたが、結局、だまされたアダムとエバは罪人の先祖となり、神様と断絶した霊的な死に処され、エデンの園から追い出されてしまいました。
サタンの試みを受ける時、私たちが負けず, 勝利するためには神様の御言葉、すなわち聖書の内容を正確に知っていなければなりません。そのためには、毎日聖書の御言葉を読みながら黙想し、霊的な筋肉をつけなければなりません。教会で聖書の御言葉を学び、神様の意図を正確に知るために努力すべきです。そうでないと、神様のおっしゃる内容が分からないために、サタンの要求どおりに動いてしまい、アダムとエバのように失敗した人生を送ることになるのです。
サタンに試みを受けた時、アダムとエバはサタンの誘惑に負けてしまいましたが、イエス様は神様の意図を正確に知っていたので、サタンの誘惑から勝つことができました。
サタンに誘惑の標的となったエバは、神様の御言葉を正確に知らずにいたため、自分と夫,アダムまで不幸にし、全人類にまでも罪の頸木によって苦痛の中で生きるようにしたのです。
今日私たちにくださった御言葉を通じてサタンのあらゆる試みに勝つために神様の御言葉を心に刻み記憶しながらサタンの試みを対敵して勝利するすべての聖徒たちになることを尊いイエス·キリストの御名によって祝福します。アーメン。
[お祈りいたします]
天のお父様、今日も命の御言葉を聞かせてくださって感謝いたします。
サタンは毎日私たちを倒すためにあらゆる巧妙な方法で神様を疑わせ、神様と離れるようにして
信仰を諦めさせようとしています。そのような試みに騙されないように、私たちを守ってください。
私たち自らも毎日聖書の御言葉を読んで黙想し、神様の意思を心に刻み、記憶し、そのまま従順に生きる神様の民になるようにしてください。
イエス様の御名によって お祈りいたします. アーメン。
“1それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。2そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。3すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」4イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」5すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」8悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9こう言った。「もしひれ伏して私を拝がむなら、これをすべてあなたにあげよう。」10そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」11すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。”
神様の御前に出てきて、誠心で礼拝する主の民たちに、主の惠みと平安がすべての人生に溢れることを祝福します。
人類の歴史は失敗の歴史です。
聖書の御言葉に照らしてみれば、過去アダムとエバがサタンの誘惑に負けて、悲惨な人生を送ったのに、今の時代にもすべての人類は仮装された幸せと虚しい権力や富を追い求めて悲惨な人生を送っているからです。実際、ほとんどの人が追求する富や権力は、真の幸せを享受する上でそれほど大きな比重を占めていないにもかかわらず、多くの人々は命をかけるほど過度に人生の目標にして生きています。
しかし、いくらお金が多くて足りないことのない権力者や財閥であっても、その心に悩みや心配のない人がいないというのは多くの人々が誤った価値観を持って生きていることを示しています。
これらは、最終的に失敗した人生を踏襲する結果を繰り返すだけです。
2022年にUN傘下の諮問機関であるSDSN(持続可能な発展解決ネットワーク)という機関が全世界のOECD国家137ヶ国の幸福指数を調査して発表したことがあります。
この調査で137ヶ国のうちの上位10位圏以内に入っている国々は、経済力や尖端インフラ、寿命などとは関係ない北欧と西ヨーロッパの人口500万から600万程度の小さな国がすべて占めていることが分かります。フィンランド、デンマーク、スイス、オランダ、ノルウェーなどですね..
この資料を見ますと、日本は幸福指数が24位で、韓国は57位を記録しています。G7の諸国はほとんど20位圏に位置しているのが見られます。これは経済力や軍事力など富強な国だからといって幸せを感じるわけではないことを端的に示すデータですね。つまり、安定した生活環境が人々に幸せを感じさせるものではないということです。
どうしても富強な国ほど国民の生活の質も良好なので、このデータは食べていく問題と幸せを感じる問題との関連性が考えて見られる資料だと思われます。
では、人生で真の満足と平安を享受できる道は何でしょうか?
イスラエルの歴史の中に現れる内容を見れば、人生の喜びと平安を享受する道はエホバ神様にかかっていると告白しています。
[詩篇 4:7-8] “あなたは喜びを私の心に下さいます。それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。8平安のうちに私は身を横たえすぐ眠りにつきます。主よただあなただけが安らかに私を住まわせてくださいます。”
財産が増え、食べて飲むのが豊かなことよりも、より大きな喜びと平安な人生はエホバ神様が保護してくださる時に享受することになるということです。
このような事実を忘れて世の中での満足と快楽に従う時は、イスラエルに大きな災いと不幸が迫ってくることもありました。罪悪に染まったイスラエルを神様がこれ以上守ってくださらなかったからです。
[申命記 31:17] “その日、わたしの怒りはこの民に対して燃え上がり、わたしも彼らを捨て、わたしの顔を彼らから隠す。彼らが焼き尽くされ、多くのわざわいと苦難が彼らに降りかかると、その日この民は、『これらのわざわいが私たちに降りかかるのは、私たちのうちに私たちの神がおられないからではないか』と言う。”
神様の保護と懐の中で生きていくことをいつも思慕する皆様になることを願います。
失敗した人間の歴史を見ながら悟ることができるのは、神様の御言葉に耳を傾けずに忘れてしまったことが失敗の原因だということが分かります。アダム以降のイスラエルの歴史を見ても聖書を通じて現れたイスラエルの苦難とすべての災いの原因は、神様の御言葉を忘れ、その心に神様がなしで自分たちがやりたいとおりに行動しながら生きてきたからだったことを示しています。
神様の御言葉を忘れ、神様を離れて暮らす人は、霊的な存在であるサタンの計略にあまりにも陥りやすいです。
サタンは決して幸せを与える存在ではありません。偽装された偽りの幸せを餌に、人々の魂を死のどん底に落とそうとすることがサタンの究極的な目的であることを忘れてはなりません。
今日の聖書の御言葉は、イエス様が人類の救いのために公的な生活を始める前に、40日間何も食べずに断食しましたが、誘惑する悪魔サタンがイエス様に近づいて試(πειράζω)みる内容が出てきます。初めから人間を誘惑することを楽しんでいたサタンが、今回は神様の御子であるイエス·キリストを試みろうと飛びかかったのです。
ここでイエス様を試(πειράζω)みるということは、テストではなく「誘惑」を意味する言葉です。
サタンはイエス様を誘惑して人類に向けた神様の救援計画が失敗するようにしようとするものでした。
イエス様はユダヤの荒野で悪魔サタンから三つの試みを受けられます。
1. 食べ物(物質)に対する試みです。
[マタイの福音書 4:3] “3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 ”
サタンがイエス様を倒すために試みた最初の誘惑は、‘神様の御子なら、この石がパンになるように命じなさい。’ということでした。メシアとして人類の救いのために公的な生活を始めることになるイエス様に、空腹を満たすために神的な能力を発揮しろということです。
しかし、イエス様のアイデンティティは神秘的な能力を示すことから証明されるものではありませんでした。人類の救いに向けた神様の計画のために自分を惜しみなく捧げる犠牲を通じてこの世に来られたメシアとしてのアイデンティティが証明されるものでした。
神様から送られたこのイエス様を聖書ではこのようにご紹介しています。
[ヨハネの福音書 1:1] “初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。”
初めからおられた御言葉は、宇宙万物を創造された創造主であるということです。
初めとは、万物の始まり、つまり創造主が宇宙万物を創造された時点を意味します。
このように、初めからおられた御言葉がある日、人間の体を着てこの世の中に来られて私たちと共におられるそうです。
[ヨハネの福音書 1:14] “ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。”
まとめると、創造主がご自分の民を救うために自ら人間の姿でこの世に来られたのです。
そしてその方がまさにイエス·キリストだということです。
「メシア」という言葉は旧約時代にイスラエルが使っていたアラム語であり、「キリスト」という言葉はギリシア語なのですが、どちらも「油を注がれた者」という同じ意味の単語です。この世の救い主という意味です。
イエス様がこの地に来られた理由はただ一つです。それは私たちをひとりも漏れなく救うことです。
[ヨハネの福音書 3:16-17] “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。”
悪魔のサタンがイエス様を訪ねてきて、このように試みる理由がここにあります。
イエス様もアダムのように倒れるよう誘惑し、神様の意思が叶わないようにしようとするものでした。
しかし、イエス様は神様の意思を叶えるためのメシアとしての道を断固として選択しました。
[マタイの福音書 4:4] “イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。”
この御言葉は申命記8:3の御言葉を引用したもので、人の命を維持することが肉体のための食べ物だけにあるわけではないということです。人が命を維持しながら生きていく上で生物学的には食べ物を摂取してこそ生きられますが、究極的にはお腹だけいっぱいになることが人生の全てではないので、人生の生死禍福を司る神様の御言葉に従って生きることになれば、永遠な命と真の平安を享受し天国の喜びを経験しながら生きることになります。
そのような面でサタンの誘惑を振り切っておっしゃったイエス様の御言葉は、お金と快楽を追って生きていく世の中の人々に真の価値が何かを教えてくださる重要な意味があると言えます。
目の前の満足だけを見るより、永遠な人生を眺める信仰を発揮することを祝福します。
2. 名誉に対する試みです。
[マタイの福音書 4:5-6] “5 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」 ”
名誉は、社会生活を送るすべての人にとって守られなければならない重要な価値の 1 つです。
社会でも名誉は生命、身体と共に重大な法的保護を受けるようにしているほど重要な位置にあります。
サタンはイエスを聖殿の頂上に連れて行き、飛び降りるよう誘惑します。エルサレムの聖殿はユダヤ人が最も多く出入りする場所でした。この聖殿の最も高いところから飛び降りても死なない空から降りてきた人類の救援者であることを示して見せろということです。サタンは引き続きイエス様がメシアであることを人々の前で証明するよう求めています。ユダヤ人は何千年もの間、自分たちを救うメシアを切望してきた民族です。彼らの前でメシアとしての身分を認められ、イスラエルの王として待遇されれば良いのですが、神様の意思はそのようなものではありませんでした。イスラエルの王として世に来られましたが、誰もイエス様を迎える人がおらず、徹底的に捨てられた状態で十字架での死に遭うのが神様の意思だったのです。
[イザヤ書 53:3-6] “彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。5しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。6私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。”
[イザヤ書 53:10] “しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。”
神様の愛は、このように私たちの救いにすべての焦点を当てています。このために神様のひとり子であるイエス·キリストを送ってくださったのです。そのような神様の愛を歪曲して救いと関係のないことと繋げたり、自分を表わし高めようとする気持ちで神様の愛を利用すれば、これはきっと神様を激怒させる行為になるでしょう。
[マタイの福音書 4:7] “イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」”
狡猾なサタンが神様の御言葉でイエス様を誘惑しようとすると、イエス様は今回も旧約聖書の申命記の御言葉を引用してサタンを対敵しました。
[申命記 6:16-18] “あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならない。17あなたがたの神である主の命令、主が命じられたさとしと掟を必ず守らなければならない。18主の目にかなう良いことをしなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、主があなたの父祖たちに誓われた、あの良い地を所有することができる。”
この御言葉はイスラエルの民たちがホレブのムリバで飲む水がないことによって神様を試みて激怒されたことに対して警戒の御言葉を伝える内容です。神様がイスラエルのために行った驚くべきことを忘却し、恨みと不平を言うのは神様に仕える人生ではなく、自分の必要に応じてのみ神様を探す偽善的な姿だということを記憶しなければなりません。
同様に、私たちの救いのために行われた大きくて驚くべき恵みの事件を常に記憶しながら、神様の意思に従って生きていこうと努力する聖徒にならなければなりません。
人々に待遇される道を拒み、私たちを救うための十字架の道を選択したイエス様を心から考えながら神様の御前でいつも謙遜し、自分ではなく神様を高める皆様になることを祝福します。
3. 富貴栄華に対する試みでした。
[マタイの福音書 4:8-9] “悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」”
サタンは今度はイエス様を高い山に連れて行きました。そこでサタンは天下万国とその栄華を見せ、自分にひれ伏して拝むなら、このすべてを与えると誘惑します。
「もし ひれ伏して私を拝むなら、この世のすべてあなたにあげよう。」”
サタンはまるで自分がこの世の主人であるかのように言っていますが、この世の主人は神様であって、サタンではありません。結局は実現可能性のない内容で誘惑するのです。
このようなサタンの誘惑に多くの人々が乗って神様を去り、罪悪の中で死を迎えた人々が数えきれないほど多いです。
しかしイエス様はサタンが試みるすべての内容をきっぱりと断って勝ち抜けました。
[マタイの福音書 4:10] “そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」 ”
ここでもイエス様は神様の御言葉を引用しながらサタンの誘惑を退けました。
敬拝と仕えることができる生きておられる神様は創造主の神様だけです。イエス様は真の神様である、ただ神様だけに礼拝するように仰いました。
神様以外に他の神にお辞儀をしたり敬拝して仕えることを偶像崇拝といいます。
偶像(アイドル)とは、「人間によって作られた、神の形や 人、魂、ダイモンなどのために敬拝したり褒めたりする物」を指します。国ごとに時代ごとに偶像の形状は少しずつ変わってきていますが、現代になってからは過去と違ってお金や芸能人、権力や名誉なども偶像の範疇に含まれています。
神様は神様の以外に他の神に仕える偶像崇拝に対して非常に厳しく禁止しています。
モーセの十戒を見ると、第1戒と第2戒でこのようにおっしゃいました。
[出エジプト記 20:1-2] “それから神は次のすべてのことばを告げられた。2「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。”
[出エジプト記 20:3] “あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。”
[出エジプト記 20:4-6] “あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。5それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。”
この世で生きていく私たちもやはりいつでもサタンの試みの対象だということを覚えておかなければなりません。イエス様を信じられないように誘惑し、神様より世の中をもっと愛するように誘惑し、お金の奴隷になり、死を恐れさせます。イエス様を信じられないように誘惑し、神様より世の中をもっと愛するように誘惑し、お金を神として仕えるようにし、死を恐れさせて死んだらすべてが終わりだと思わせます。
サタンが提案するすべてのことは嘘と滅亡だけです。
アダムとエバに神様が“食べるな” と禁じた実を食べても絶対に死なないと言いましたが、結局、だまされたアダムとエバは罪人の先祖となり、神様と断絶した霊的な死に処され、エデンの園から追い出されてしまいました。
サタンの試みを受ける時、私たちが負けず, 勝利するためには神様の御言葉、すなわち聖書の内容を正確に知っていなければなりません。そのためには、毎日聖書の御言葉を読みながら黙想し、霊的な筋肉をつけなければなりません。教会で聖書の御言葉を学び、神様の意図を正確に知るために努力すべきです。そうでないと、神様のおっしゃる内容が分からないために、サタンの要求どおりに動いてしまい、アダムとエバのように失敗した人生を送ることになるのです。
サタンに試みを受けた時、アダムとエバはサタンの誘惑に負けてしまいましたが、イエス様は神様の意図を正確に知っていたので、サタンの誘惑から勝つことができました。
サタンに誘惑の標的となったエバは、神様の御言葉を正確に知らずにいたため、自分と夫,アダムまで不幸にし、全人類にまでも罪の頸木によって苦痛の中で生きるようにしたのです。
今日私たちにくださった御言葉を通じてサタンのあらゆる試みに勝つために神様の御言葉を心に刻み記憶しながらサタンの試みを対敵して勝利するすべての聖徒たちになることを尊いイエス·キリストの御名によって祝福します。アーメン。
[お祈りいたします]
天のお父様、今日も命の御言葉を聞かせてくださって感謝いたします。
サタンは毎日私たちを倒すためにあらゆる巧妙な方法で神様を疑わせ、神様と離れるようにして
信仰を諦めさせようとしています。そのような試みに騙されないように、私たちを守ってください。
私たち自らも毎日聖書の御言葉を読んで黙想し、神様の意思を心に刻み、記憶し、そのまま従順に生きる神様の民になるようにしてください。
イエス様の御名によって お祈りいたします. アーメン。
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福音とは何ですか?
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2023.09.08
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New [主日礼拝-250420]『イエス様の復活』(ルカの福音書 24:1-12)_復活主日_聖餐式
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[主日礼拝-250413]『十字架を通したメッセージ』(イザヤ書 53章1節-6節)_受難週間
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[主日礼拝-250406]『小さい者のための心遣い』(マタイの福音書 18章5節-10節)
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[主日礼拝-250330]『子供のような信仰』(マタイの福音書 18章1節-4節)
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[主日礼拝-250323]『神殿税を納めた理由』(マタイの福音書 17章22節-27節)
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[主日礼拝-250316] 『大きな信仰の人になるために』(マタイの福音書 17章14節-20節)
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[主日礼拝-250309]『キリストの栄光を見た弟子たち』(マタイの福音書 17章1節-13節)
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[主日礼拝-250302]『私について来たいと思うなら』(マタイの福音書 16章21節-27節)
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[主日礼拝-250223] 『あなたは私を誰だと言いますか』(マタイの福音書 16章13節-17節)
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[主日礼拝-250216] 『信仰の告白(2)』 (マタイの福音書 16章13節-17節)
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